ネパールトレッキング チュクンリ(Pakding→Namche Bazar)③
2016年12月26日
トレッキング2日目のスタート。
いつもであれば朝食はKarmaさんが朝からお粥を用意してくれるのですが、実は昔からお粥があまり好きではない私は初めてそのことを告白しました。
そしてこの日の朝食はトーストとゆで卵、Karmaさん作の味噌スープと日本から持ってきた甘酒をいただきました。
さて、この日は私より2日遅れでカトマンズに入ったKimiちゃんがLuklaに飛ぶ日です。
無事に飛ぶこといいな、と思っているとなんと7:30、KarmaさんのところにKimiちゃんと一緒に来るもう一人のシェルパさんのPasangさんから電話があり、朝一番のフライトでもうLuklaに到着したとのことでした。
そして時間が早いのでこの日はPakdingではなくその先のMonjoまで行くつもりだとのこと。
遅延なくうまく合流できそうなのが嬉しい半面、一人高度順応のハンディーが最初の予定より短くなってしまったことを改めて実感し、少々不安を感じる複雑な心境でした。
7:50、ロッジを出発してNamcheBasarへ向かいました。
この山、タムセルクが見えるとヒマラヤを実感します。
最初は少し雲がかかっていましたがどんどんと晴れてきて
格好いいですね~
周りの緑と空の青とのコントラストがたまりません。
そして絵になる~
こうしてウキウキ歩いていると
震災の影響で壊れたままになった建物も時々目にしました。
こういう村の建物は木造、石積みで地震には弱そうなのです。
今回歩いたルート上では古い家と河岸の崖っぷちに建っていた建物の被害をいくつか目にした程度でしたが、もう少し震源に近いエリアではかつてトレッキングで訪れた村でも村全体が消滅したような地域もあり、心が痛いです。
今の私にできることは募金とこうしてネパールに来ることくらいなので、せめて小さなことでもできることだけでも、という思いになります。
途中30分くらいのお茶休憩をして10:20、Monjoに到着しました。
Monjoはいつも帰路の宿泊地として立ち寄りますがここもお馴染のロッジがあります。
ちょっと早いですが早目のランチをいただきました。
平麺で作ったチョウメンは美味でした。
Monjoには国立公園に入る大きなチェックポストがあります。
どこにこんなに人が居たんだろう?と言うくらい沢山の人が溜まった状態でした。
Karmaさんが手続きをしてくれるので私は先に進むように言われ、
ポーターのNuriに付いて先に進みました。
何度も大きな吊橋を
ヒマラヤからの白みがかったエメラルドグリーンの雪融け水が流れるドゥードコシ(ミルクの川の意味)を渡って進みます。
前方にはJosalleの村が見えてきました。
更に進んでMonjoから1時間ちょっとでこのルート一番の落差のある吊橋の下に到着。
以前は下方に架かった橋を利用していましたが、前回からは新しく架けられた上方の橋がルートになっています。
それにしてもかなりの落差。
特に一度に渡る人数制限もされておらず、何十キロもの荷物を積まれたゾッキョが何頭も一緒に渡ったりもするので、凄い橋ですね。
ただ、以前もあの橋の渡り口まで行くのがたいへんでしたが、ここからかなり一気に登りとなります。
そして橋通過。
途中ルート上最初にエベレストが見えるポイントがありますが、この日はそこからのエベレストは臨めませんでした。
気付けばNamcheの手前のチェックポスト。
最後にこの階段を登って
Namcheの馬蹄形の村が現れました。
商店街を通り抜けて
前回と同じロッジに到着。
Monjoからかなりゆっくり来て3時間程度でした。
この日もMairaさん達も一緒でした。
私は予定ではここに4泊してKimiちゃんを待つはずでした。
と言ってもこれまでに何度も来ている場所でずーっと居るのもつまらないので、体調を見ながら2泊目は一旦少し高めの所に宿泊してまたここに戻るなどいろいろと企んではいたのですが、3泊になってしまったのでどうしようかと思っていました。
MairaさんとAさんは翌日は富士山頂よりも若干標高の高いエベレストビューホテルがあるShanbocheで宿泊する予定でした。
Aさんはこんなに高い所に来るのは初めてで、ここに来るまで心臓の拍動がびっくりするくらい早く、ゼイゼイハーハーでしんどかった、と仰っており翌日更に高所に行くことを不安そうにしておられました。
ですが私の血中酸素濃度測定計で測定すると酸素濃度は平地並みでした。
ちゃんと酸素不足に対応して酸素を運ぶために心臓がせっせと働いてくれているということでとても羨ましいです。
ご本人は経験したことがない動悸のような症状で不安なようでしたが。
一方、私は到着して少ししてからの濃度は80%程度で平地で病院で酸素濃度が90%以下になると人工呼吸を開始すると言う濃度を10%も下回っている状態でしたが、夕食時には90%にまで回復していたので、私にしてはまずまずでした。
この晩もAさん、Mairaさんとも一緒にいろいろとお喋りさせていただき、おかげでKimiちゃんと合流するまでの2日間は一人でも楽しく過ごさせていただきました。
トレッキング2日目のスタート。
いつもであれば朝食はKarmaさんが朝からお粥を用意してくれるのですが、実は昔からお粥があまり好きではない私は初めてそのことを告白しました。
そしてこの日の朝食はトーストとゆで卵、Karmaさん作の味噌スープと日本から持ってきた甘酒をいただきました。
さて、この日は私より2日遅れでカトマンズに入ったKimiちゃんがLuklaに飛ぶ日です。
無事に飛ぶこといいな、と思っているとなんと7:30、KarmaさんのところにKimiちゃんと一緒に来るもう一人のシェルパさんのPasangさんから電話があり、朝一番のフライトでもうLuklaに到着したとのことでした。
そして時間が早いのでこの日はPakdingではなくその先のMonjoまで行くつもりだとのこと。
遅延なくうまく合流できそうなのが嬉しい半面、一人高度順応のハンディーが最初の予定より短くなってしまったことを改めて実感し、少々不安を感じる複雑な心境でした。
7:50、ロッジを出発してNamcheBasarへ向かいました。
この山、タムセルクが見えるとヒマラヤを実感します。
最初は少し雲がかかっていましたがどんどんと晴れてきて
格好いいですね~
周りの緑と空の青とのコントラストがたまりません。
そして絵になる~
こうしてウキウキ歩いていると
震災の影響で壊れたままになった建物も時々目にしました。
こういう村の建物は木造、石積みで地震には弱そうなのです。
今回歩いたルート上では古い家と河岸の崖っぷちに建っていた建物の被害をいくつか目にした程度でしたが、もう少し震源に近いエリアではかつてトレッキングで訪れた村でも村全体が消滅したような地域もあり、心が痛いです。
今の私にできることは募金とこうしてネパールに来ることくらいなので、せめて小さなことでもできることだけでも、という思いになります。
途中30分くらいのお茶休憩をして10:20、Monjoに到着しました。
Monjoはいつも帰路の宿泊地として立ち寄りますがここもお馴染のロッジがあります。
ちょっと早いですが早目のランチをいただきました。
平麺で作ったチョウメンは美味でした。
Monjoには国立公園に入る大きなチェックポストがあります。
どこにこんなに人が居たんだろう?と言うくらい沢山の人が溜まった状態でした。
Karmaさんが手続きをしてくれるので私は先に進むように言われ、
ポーターのNuriに付いて先に進みました。
何度も大きな吊橋を
ヒマラヤからの白みがかったエメラルドグリーンの雪融け水が流れるドゥードコシ(ミルクの川の意味)を渡って進みます。
前方にはJosalleの村が見えてきました。
更に進んでMonjoから1時間ちょっとでこのルート一番の落差のある吊橋の下に到着。
以前は下方に架かった橋を利用していましたが、前回からは新しく架けられた上方の橋がルートになっています。
それにしてもかなりの落差。
特に一度に渡る人数制限もされておらず、何十キロもの荷物を積まれたゾッキョが何頭も一緒に渡ったりもするので、凄い橋ですね。
ただ、以前もあの橋の渡り口まで行くのがたいへんでしたが、ここからかなり一気に登りとなります。
そして橋通過。
途中ルート上最初にエベレストが見えるポイントがありますが、この日はそこからのエベレストは臨めませんでした。
気付けばNamcheの手前のチェックポスト。
最後にこの階段を登って
Namcheの馬蹄形の村が現れました。
商店街を通り抜けて
前回と同じロッジに到着。
Monjoからかなりゆっくり来て3時間程度でした。
この日もMairaさん達も一緒でした。
私は予定ではここに4泊してKimiちゃんを待つはずでした。
と言ってもこれまでに何度も来ている場所でずーっと居るのもつまらないので、体調を見ながら2泊目は一旦少し高めの所に宿泊してまたここに戻るなどいろいろと企んではいたのですが、3泊になってしまったのでどうしようかと思っていました。
MairaさんとAさんは翌日は富士山頂よりも若干標高の高いエベレストビューホテルがあるShanbocheで宿泊する予定でした。
Aさんはこんなに高い所に来るのは初めてで、ここに来るまで心臓の拍動がびっくりするくらい早く、ゼイゼイハーハーでしんどかった、と仰っており翌日更に高所に行くことを不安そうにしておられました。
ですが私の血中酸素濃度測定計で測定すると酸素濃度は平地並みでした。
ちゃんと酸素不足に対応して酸素を運ぶために心臓がせっせと働いてくれているということでとても羨ましいです。
ご本人は経験したことがない動悸のような症状で不安なようでしたが。
一方、私は到着して少ししてからの濃度は80%程度で平地で病院で酸素濃度が90%以下になると人工呼吸を開始すると言う濃度を10%も下回っている状態でしたが、夕食時には90%にまで回復していたので、私にしてはまずまずでした。
この晩もAさん、Mairaさんとも一緒にいろいろとお喋りさせていただき、おかげでKimiちゃんと合流するまでの2日間は一人でも楽しく過ごさせていただきました。
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